他力本願 ─ガンバっちゃアカン─

あるゴルフ雑誌に「他力本願 ─ガンバっちゃアカン─」と題して、ゴルフのワンポイントレッスンが連載されている。きっと他力本願の意味をまちがって使っているのだろうと読んでみると、そうでもなくなかなか面白い。「ゴルフの本質を忘れて努力しても逆効果」とか「努力の方向性をまちがえると何にもならない」とか「本人には自覚がない」とかいうようなニュアンスの表現がよく出てくる。ゴルフをやったことのある人なら身に覚えがあると思うが、力んだら終わりだとわかっていても、飛ばそうとしてつい力んだり、クラブのフェースに仕事をさせろと言われても、つい自分で何とかしようとして、体がぶれたり手首を使いすぎたりして、思わぬ方向にボールが飛んでいってしまうことがよくある。こういうミスはゴルフの本質を忘れて、自分が自分がという自我が独り相撲をとってしまうときにおこるのである。ゴルフが上達するためには努力は大切である。しかし、「ゴルフとは何か」ということがわからなくては、けっして大成することはない。この筆者はどこまで「他力本願」を理解しているかわからないが、こう考えていくと、ゴルフの本質を忘れてがんばってもゴルフを見失うだけであり、常にゴルフとは何かに立ち返れということが「他力本願」という意味になる。「他力本願」とは他人まかせという意味ではない。

さて、このことを現代に生きる私たち一人一人にあてはめてみよう。努力することは大切なことだから、努力して少しでもいい生活をしたいと誰でも思っている。しかし、「ゴルフとは何か」ではないが、「自分とは何か」ということをじっくり考えたことがはたしてあるだろうか。目先のことに翻弄されて生きているのが私たち現代人ではないだろうか。そのことが明らかにならずしてただがむしゃらにがんばっているならば、むなしい人生になってしまうのではないだろうか。「自分とは何か」を明らかにした上で、自分を尽くして生きることこそ本当の生き方であることを知らせるはたらきが他力本願の本当の意味なのであろう。