門徒随想

私が毎日のように日記を書き始めたのは、12歳の時だった。就職した頃から途絶えてしまうことになったが、振り返るとその8年間は、紙とペンを使った自分自身の内面との対話と格闘そのものだったように思う。その日にあったことを書くというよりも、その時に自分が考えていたことを何度も反芻するように書き綴っていったものだった。

しかし、私の手元に残っている日記帳は、わずかな冊数に過ぎない。その多くは燃やして捨ててしまった。傍らに置いておくのが痛かったからである。日記帳のなかでの絶え間ない自分のもがきや、様々な出来事による深い想いのあれこれがあった。

やがて、何故その中にある自分自身と今までから私は時折目をそらすのか、どうして自分は燃やしてしまうのか、その事を深く考えるようになっていった。自分自身との対話は今も続き、形を変えて門徒倶楽部という場を通じての始まりを見せている。

9月に初めて門徒倶楽部に参加させて頂いたばかりだが、私は宗教を探し求めていたら浄土真宗に出遇った、というものではなかった。詳細は割愛するが、全く違う点、仏教のことなどまるで頭に無い中でふっと出遇えた、それが真宗だった。縁というものの不思議さを感じずにはいられない。

私は今生きていて、痛みを感じている。毎日の生活の中の自分自身や、自分が感じる周りの人の生き様や息づかいに感じる痛みと、人肌の温もりのような優しさとを、いつも想っている。時折感じる生き難さもある。けれど、そんな毎日の瞬間の一つ一つをハッとしてしまうほど穏やかな気持ちで見ることが出来る時もある。やはり迷いの多いこの身なのだ。

私の中に渚がある。凡夫の私だから、寄せては返す波のように何度も何度も生きていく中で疑問や戸惑いや嘆き、痛みをぶつけ、心に迸らせるだろう。それでも、私は何度も自分に押し返したい。何度も何度でも、自分に返し、受け止め、この身にかえりたい。

諌山友紀子(21歳、OL)