門徒随想

今年の夏は、久しぶりにお盆を長崎市の実家で過ごした。実家はいわゆる分家であるが、亡くなった叔母のために設けた仏壇がある。15日には92歳になった祖母や父方の兄弟達が集まった。皆が仏壇に参り、若いお坊さんのお経を聞いた後、故人を偲びつつ、よもやま話に花を咲かせた。

ところで、長崎でお盆といえば15日夜のにぎやかな精霊流しで知られる。その夜、両親は精霊船の原形といわれる草の葉で編んだ小さな船の中に仏壇に供えられた果物やお菓子などを詰めた。私は父について草の船を家のそばの浦上川に流しに行った。父は「来年もまたきて下さい」と言いながら、これを闇の中の川に流した。これは真宗の教えとはちょっと違うけれども、父の故人や浄土に対する思いをみたような何だか不思議な気持ちになった。

そういえば、1年前に実家に帰ったのは、持病が悪化した9月上旬であった。私は病いの不安の中で少しでも安らぎの境地を見い出す必要性を感じて、仏教の入門書を読みあさり、近所のお寺の座禅会に参加したりした。そして試行錯誤の末にたどり着いたのは、子供の頃聞いた、祖母が仏壇の前で称えていた南無阿弥陀仏の声であった。こうして私は真宗の教えに初めて出遇うこととなった。

その後、持病の方はだいぶ回復して4月には職場復帰もできたが、この間私を支えてくれたのは、妻子や両親はもちろん、お医者さん、そして仏教・真宗の教えであったと感謝している。

今年の春、インターネットのホームページで門徒倶楽部の存在を知った。そして6月から参加させていただき、自分を見つめることや問いを持つことの大切さを学び始めている。今、日々の暮しの中で煩悩と安らぎとが同居したような感じで生活しているが、まだ真宗の教えにふれて日が浅く、加えて飽きやすい性格なので、気長に怠ることなく教えを聞き続けたいと思っている。

橋口茂(34歳、会社員)