「推進員養成講座」いのちのふれあいゼミナール
宮戸道雄師・法話実況中継
「仏に遇うということ」
ダイジェスト版

第3回目 6月12日(土) 会場: 常福寺

凡夫とは
仏によって名づけられた私の実名

 前回、お経は自分を映し出す鏡だと申しました。自分が照らされるということですね。今まで見えなかった自分に気づかせていただくということでしょう。仏法を聞かせてもらうということは、仏法の知識を得るということではありません。聞くということによって、今までの自分の死角・盲点というものが日に日に新しく見えてくるという、こういう楽しいことがあるのですね。楽しいですよ、毎日新しい自分に遇えるのですから。お経は鏡だという一点が抜けますとね、先祖にあげるなにか祝詞みたいな感じになってしまうのです。皆さん、どうですか? ご住職にお願いして、法事にお経をあげていただいておりますが、神主さんが祝詞をあげているのとどれぐらい区別がついていますか? もしかしたらあまり変わらないのではないでしょうか。お経とは自分を照らす鏡であるという一点を見失うと呪文のようなものになってしまうのです。鏡とは、自分を照らしだしてくる教えという意味になるのです。現代は自分を照らしだす教えを失った時代であると言ってもいいのではないでしょうか。
 司馬遼太郎さんは生前「私は先祖代々、親鸞聖人の教えを聞いて育ってきた、そういう血をひく播州門徒なのだ」とよくおっしゃっていました。非常に心強い気がいたしますね。その播州門徒の司馬さんが「このごろは凡夫がいなくなった」ともおっしゃっていました。凡夫がいなくなったということはどういうことかと言うと、自分を照らす教えを失ったという意味なのです。司馬さんが高校生だったときの話ですが、国語の時間に「このなかで、凡夫(おろか者)といったら誰のことか」と先生は生徒に質問したそうです。生徒はまわりをキョロキョロしながら、心の中では「あいつだろう」と思ったりしていたのですが、口に出しては言わなかった。そこで先生が「では私が答えましょう。凡夫とは私自身のことなのです」とおっしゃったそうです。司馬さんはその言葉を聞いて、雷にうたれるほどびっくりしたそうです。さらに先生は「あなたたちはこれから勉強をして立派な人におなりになるだろうけれども、自分が凡夫だという一点がわからなかったら、どんなに立派になったとしても、あなたの人生は浮き草のようになるでしょう。自分が凡夫であると本当にうなずけたならば、人生は思うようにいかなくても豊かな人生を送ることができるでしょう。日本の国で一番最初に自ら凡夫であると気がついてくださった人は聖徳太子と法然上人と親鸞聖人であったのです」と続けられたそうです。司馬さんは晩年「この年になって、先生のおっしゃったことの意味がよくわかるようになった」と述べていらっしゃいます。
 お経は鏡のようなもので自分を映し出すのです。そこに映し出された私の姿、それを凡夫というのでありましょう。凡夫というのは、仏さまによって名づけられた私の実名なのです。
 だいぶ前になりますが、ある雑誌にサミットのこぼれ話がのっておりました。うそか本当か知りませんが、フランスの大統領が日本の首相に「日本が文化として世界に誇れるものは何か」と質問したら、日本の首相が困惑してしまったということです。日本が文化として世界に誇れるものは何か──それは阿弥陀仏を拝むということなのです。阿弥陀仏をいただいているということなのです。なぜか? 阿弥陀仏は「汝、凡夫よ」と徹底的に私を否定してくる。人間の欲に利用される仏ではありません。金儲けをするとか、病気が治るとか、長生きするとか、そういう欲望に利用されることの一切ない、利用されるどころか寧ろ人間を「罪悪深重の凡夫よ」と人間のあり方を徹底的に破ってくださる阿弥陀仏をいただいているということが宝なのです。浄土真宗の門徒というものは、その宝を当たり前のように思っていますけれども、その宝ということが、お経は鏡であるという意味になってくるのです。そのへんをもう一ぺん見直してくださいませんか。
 私の寺のある門徒さんから「私はお仏壇の前でお勤めをいたしますと、無心になってお勤めしたいのですけれども、何やらろくでもない妄念妄想が沸いてくるのです。住職さんはそうではないでしょうが・・・」と質問を受けました。実は私もいっしょです。私も勤行中に色々な妄念がおこってきます。しかし同じではありますが、ただちがう点がひとつあります。私はこの門徒さんのように妄念妄想の心をやめようとは思わないのです。妄念妄想がおこるということがお参りした功徳なのです。皆さん、この一点なのです。仏さまの前だからおこるのです。道端でだれかと人の悪口を言っているときなんか、他のことなんか浮かんでこないでしょう。テレビに夢中になっているときに妄念妄想なんておこらないでしょう。仏さまのまえに座ったときだけにおこるのです。ということは、仏さまの前に座った功徳なのですよ。皆さん、考え方が逆になっていたらいけません。座ることによって妄念妄想しかおこらない自分であったということを仏さまから照らし出されるのです。そういう私の現実に気づかせていただくのです。
 正親含英(おおぎ・がんえい)という先生が「人間にとって一番幸せなことは、汝凡夫よ、おろかな者よ、と呼びかけてくださる人をもつことである。そしてその呼びかけにうなずけることである」という言葉で教えてくださっております。呼びかけてくださる人といっていますが、これは阿弥陀仏のことなのです。阿弥陀仏をいただき、その呼びかけにうなずくことができるということです。これがお経というものをいただく要となるのです。

「王舎城の悲劇」の背景にあるものは罪福信

 それでは『現代の聖典』の内容にはいりましょう。『観無量寿経』序文「王舎城の悲劇」の内容ですが、まず、阿闍世(あじゃせ)という息子が、父であるビンバシャラ王の王位を奪って牢獄に閉じ込めてしまうという、クーデターのような出来事がおこります。それを助けにいこうとした王の妻である韋提希(いだいけ)が王のところに食物を運ぶのを阿闍世に見つかって、韋提希自身も牢獄に閉じ込められてしまうという悲劇がおこってくるという話が展開されています。
 私の寺のあるご門徒が「お経はもっとありがたいことが書かれていると思ったら、中身は尊属殺人ではないですか。本当にびっくりした」と私に話されるので、私は「もうひとつびっくりしてください。尊属殺人を犯した阿闍世という人物は一体だれのことなのでしょう?」と申しておきました。
 さて、この「王舎城の悲劇」がおこった背景ですが、おこるべき因縁があったのです。このことは『涅槃経』というお経に書かれています。ビンバシャラ王と韋提希には、長らく子どもがなかったので(32年間ともいわれている)、世継ぎの子が授かるのを願って、ある時占い師に占ってもらったら、「3年後にできますが、この近くの山に住んでいる仙人が天寿を全うして死に、ビンバシャラ王と韋提希の太子として生まれ変わってくるのです」と言われたのです。この言葉を聞いて、ビンバシャラ王は3年後が待ちきれず、臣下に命じて、仙人に国のために死んでくれと頼むのですが、聞き入れないとみるや、ついに仙人を殺させてしまったのです。仙人は殺されるに際してビンバシャラ王を怨み、「ビンバシャラ王の太子として生まれ変わったならば、必ずこの仇を報いるであろう」と叫んで死んでいったのです。やがて韋提希は懐妊するのですが、ビンバシャラ王が再び占い師を呼んで尋ねると、占い師は「りっぱなお子さまが生まれますが、そのお子さまは生まれる前から貴方に怨みをもっていますから、生まれたらきっと仇をなすでしょう」と答えたのです。それを聞くや、他人の命を奪ってまでしても、欲しいと思った子どもであるにも関わらず、ビンバシャラ王は心に不安を感じ、韋提希と相談して、生まれるときに、高いところから産み落として、人知れず殺してしまおうと計ったのです。ところが太子阿闍世は不思議にも小指1本怪我しただけでした。このことを阿闍世はダイバダッタから聞かされます。ダイバダッタは有力者であり、一応は釈尊のお弟子でありましたが、釈尊を仏として拝むことができず、多くのお弟子たちに慕われ、ビンバシャラ王のような有力な協力者に守られている釈尊に嫉妬し、釈尊をなきものにして自分が教団の主となるとともに、ビンバシャラ王の王位を阿闍世に奪わせて、阿闍世を自分の外護者にしようと画策したのでした。こうしてダイバダッタは出生の秘密を話すことによって、阿闍世を誘惑したのです。信頼しきっていた親に裏切られた阿闍世の心の痛手は、愛情を限りない憎悪に転じ、ついに父王の殺害を企てるにいたるのです。これが「王舎城の悲劇」の発端となった因縁です。
 この悲劇の背景にあるものとは一体何なのか。これは罪福信なのです。罪福のこころなのです。一口でいえば、除災招福のこころです。いやなものは向こうに行け、いいものはこっちへ来いというこころです。児玉暁洋という先生は、これを節分信仰と言っておられます。鬼は外、福は内ということですね。日本人の99%がもっているのではないでしょうか。このことを罪福信というのです。みんなもっていますね。私もいっぱいもっています。

「王舎城の悲劇」のなかの人物は
一体だれのことなのか?

 ビンバシャラ王は子どもさえあったら幸せなのだと、これは招福ですね。もうそれしか見えないのです。それしか見えないとどうなるのか。そこに出てくるのが占い師なのです。判断を失うのです。そしてその人の言いなりになってしまうのです。これは恐ろしいことです。そして、3年待てないものですから、死んでくれと。私個人のためではない、国のために死んでくれと。どうか大仙人よ、と。国のためときましたね。仙人ではなく、大をつけて大仙人と。これ、おべんちゃらじゃないですか。昔のインドの話と思って聞いていますが、なんのことない、今もやっているではないですか。国会議事堂でもやっていますね、脳死法案というのをね。腎臓を提供してくれる人が早く脳死となって、腎臓くれないかと。同じことではないでしょうか。昔も今もかわりません。仙人はいくらビンバシャラ王の頼みでも断った。断ったとはどういうことかというと、道理に合わないということです。そうするとビンバシャラ王は「我はこれ一国の主なり。所有の人も物も我に帰属す」(『観経疏』)と言って本性を表してくるのです。一切の存在を認めるか認めないかは私の腹一存だと言っているのです。ここにもそういう人がいるでしょう? 「わしがいるから家がもっとるのや」と言えば、「わたしが留守番しているから、安心して仕事に行けるのだ」と言ったり・・・。どうですか? みんな王様ではないですか。
 ビンバシャラ王は、道理を無視して、仙人を殺して子どもを手に入れました。欲望を満たすためには手段を選ばないのです。これを幼児性というのです。私たちも仏の教えによって、そのことに気づかせていただかないと、一生幼児で終わってしまいます。
 さて、子どもができたが、怨みをもっていて、自分に害がくることになったら不安になって、産み落として殺そうとするのです。不安とはどういうことかというと、道理からの反撃なのです。道理を無視したら必ずそこから反撃されるということを、不安という形でいっているのです。産み落として殺すはずが、指1本折れただけで生まれてきた。そしてダイバダッタに誘惑されるのですが、ダイバダッタは「殺されるはずの貴方が生きているのは、あなたの福力です」と阿闍世に言うのです。うまいこと言うものですね。これは阿闍世の自尊心をくすぐっているのです。そして指が折れているのはビンバシャラ王のせいだと言うわけです。
 そうすると皆さん、「王舎城の悲劇」の背景に流れているものは除災招福のこころなのです。罪福信です。これが一貫しています。すべて自分というものを中心にして、自分さえよければいいという根性です。そうなってくると、この物語の背景にあるものは、私たちひとりひとりの問題ではないでしょうか。一ぺん考えてみてください。ちょっと休憩いたしましょう。

罪福信に気づくということ

 先日、ご門徒ではありませんが、私の町のある女性が突然夜に寺にいらっしゃって「水子の供養をしてくださいませんか」と言われました。私の寺は浄土真宗でございますから、水子供養はしないのですが、それで断ったらその人にとっては何も解決しないので、あがってもらって話を聞くことにしました。その女性は「子どもは言うことをきかないし、主人は体の具合が悪いといって仕事をあまりしないし、わたしも体の調子がいまひとつよくありません。そこで占い師に相談をいたしましたら、水子がたたっているのでお寺に行ってお経をあげてもらいなさいと言われたので参りました」と話されました。そこで私が「水子がたたっているからあなたは恐れているのですか? たたられるおぼえがあるのですか?」と尋ねましたら、その女性は事情があって子どもをおろしたということでした。私は「あなた、子どもをおろしたということは、あなたの幸せのためにそうしたのでしょう? その罪がどれほど恐ろしいことであったかということを本当にお気づきになるのなら、子どもはあなたのためにいのち全部を捨てられたのですよ、だからあなた自身もその罪を悔いるのならば、あなたの全体を投げ出してください。あなたの全体をあげて、このことについて申しわけなかったと、そのことに気づいていただくことを願っているのです」と真剣に申しました。水子供養と言いますが、供養というのはお経をあげて死んだ人がどこかに行くとかいう話ではないのです。讃嘆供養(さんだんくよう)という言葉があります。讃嘆というものがなかったら供養は成り立ちません。自分の幸せのために、むりやり子どもをおろしてしまった。今度はおろした不安によって、またその不安を取り除いていこうという、徹底的に自分というものを押し通していく、そういう罪福のこころしかなかった自分であったとはじめて気づかせてくれたのが、はからずも自分がおろした子どもだったのだということですね。この子どもによって、自分というものを教えてもらったのです。これを讃嘆というのです。おろした子どもは自分というものを教えてくださった仏さまだと讃嘆する、こう言えなかったら供養したとは言えません。そのことに気づいていただきたかったので、この女性に色々と申し上げたわけでございます。

南無するところに阿弥陀仏がはたらいている

 私たちは、罪福のこころをもって仏さまをたてているのではありませんか? あるいはイメージしているのではないでしょうか。災いは向こうに行ってくれ、幸せは来てくれと、どうかよろしくお願いしますとね・・・。罪福のこころをもって仏さまを見ていませんか? そういう仏さまは魔物なのですよ。人間を畜生に転落させる魔物なのです。ですから、さきほど日本が文化として世界に誇れるものは阿弥陀仏なのだと申したのです。阿弥陀仏はなぜ世界に誇れるのか? 阿弥陀仏は「汝、凡夫よ」と呼びかけてくださる。凡夫ということはどこまでいっても除災招福のこころしかない私であるということを徹底的に照らし破ってくださるのです。これを阿弥陀というのですね。そういう仏さまがどこかにいるということではありません。私にそういうことに気づかせてくださった南無というところに、子どもをおろしてでも自分の幸せを守ろうとするこころしかない私だったと、南無と目が開いたとき、このはたらきを阿弥陀というのです[南無とは頭がさがるということ]。南無をはなれてある阿弥陀さまは、それは偶像です。観念です。幻想です。人間の欲のかたまりが投影しているだけです。南無するところに、自分に気づいたところに、阿弥陀仏がはたらいてくださっているのです。それを回心というのです。回心とは、こころがひっくりかえるのです。ここに阿弥陀仏がはたらいていらっしゃるのです。
 先日、ある新聞にも書いたことなのですが、いつも晩のお勤めをお孫さんと二人でやられているあるおじいさんが、お孫さんから「阿弥陀さんは年いくつや?」と聞かれてこまったそうです。私もその話を聞いて大変驚きました。何歳かときくということは、阿弥陀さんが生きていると思うからですよ。何歳と思ったことありますか? 阿弥陀さんを飾りものにしてはいませんか? 曇鸞(どんらん)大師は「讃阿弥陀仏偈」に、阿弥陀さまは成仏以来、十劫をへていらっしゃると書かれていますが、十劫だとお孫さんに言ったところで仕方のないことです。親鸞聖人は、それを和讃にするときに「今」という字を加えられ、今に十劫をへたまえりと書かれています。今というものがなかったら、十劫というものはありません。「今」とはどういうことでしょうか? それはどのぐらい迷っているかという問題なのです。もし迷っていなければ、阿弥陀さんは0歳ということです。罪福信をもちながら、もっていることにも気がつかずに今日まできた、このことにはじめて今、罪福信しかない私であったとわかってみたら、実は十劫のむかしから迷い続けてきたのだということにも気づいた。だから阿弥陀さんは、十劫のむかしから私に呼びかけてくださっていたのだといただけるのです。こういう意味なのです。

「王舎城の悲劇」の中に自分の姿を発見する

 さて、今日は「王舎城の悲劇」の背景についてお話ししてきました。ビンバシャラ王の罪福のこころが因となり、占い師の教えが縁となって、そして悲劇という結果を生んでいるのです。因縁果ということですね。我々の人生はどんな教えに遇うかによって決まってくるということです。阿弥陀仏の教えに遇うことによって、罪福のこころがすべてを生んでいるのだということに気づかせていただくことができるかどうかで自分の人生は決まってきますね。
 罪福のこころを別の言葉で申しますと、我執(がしゅう)ということなのです。我=自分というものをかんばるこころ(執着するこころ)というものですね。この我のこころがあるというと必ず我痴(がち)・我見・我慢・我愛という4つの真理が付随してくるのです。これを我の四相というのです。我痴とは愚痴ともいいますが、正しい道理のわからない私ということがわからないということです。そこから出てくるのが、この私が私がという我見(考え方)です。それから我慢ということですが、慢というのは威張るということではありません。比較するというこころです。比較しないと喜べないこころをいうのです。上を向いてクシャンとしている人は、下を向いて喜んでいます。下を向いて喜んでいる人は、上を向いたらクシャンとするのです。そういうこころです。そして最後に我愛ということですが、自分の評価が何よりも大事というところに我愛があるのです。
 「王舎城の悲劇」の背景を学んでまいりましたが、これはよくよく読ませていただきますと、今まで見たことのないような私自身のなかにある私の本当の姿がこういうかたちで出ているのではないでしょうか。そしてこのことは、仏さまによって照らし破られてみてはじめてわかるのではないでしょうか。親鸞聖人は「とても地獄は一定すみかぞかし」とまでおっしゃっています。『現代の聖典』は2000年以上も前のものでございますが、なぜ『現代の聖典』なのか、読んでみたら、私の生々しいことではありませんか。こういうところからこの聖典を鏡にして、今までのぞいてもみなかった自分に出遇っていただければ、これは大きな意味があるのではないかと思うのです。そこで宿題をだしておきたいと思います。いつ、どこで、どういう状況の中で、私は罪福信しかもっていない私であったということに本当にうなずかせていただいたのかについて、具体的に記録してください。ご住職ともお話し合いになって、ごいっしょに学んでいただければありがたいと思うのでございます。