老いとの対話

 「老い」あるいは「高齢者」という言葉を耳にしたとき、どんな光景を思い浮かべるのでしょうか。夫婦で旅行をしたり、公園で孫と遊んだりといった余生を楽しむ光景でしょうか。しかし、これは元気なうちだけの話であって、どちらかというと、家族のいない一人暮しや病院で寝たきりといった孤独なイメージ、家族や社会から役立たずののけものと扱われるイメージではないでしょうか。
 確かに、老いると体力や記憶力は落ちはじめ、働くことは困難になっていきます。しかし問題なのは、老いることのすべてを否定的、悲観的にとらえられていく能率主義・経済主義がはびこる現代社会の価値観ではないでしょうか。役に立つか立たないか、損か得かという価値観が蔓延している現代社会においては、ひとりひとりが全面的に老いを受け入れていくことは大変困難な状況にあるようです。まもなく、超高齢化社会が到来するなかで、「老い」に対する新たな視点を見出だすことが求められているのではないでしょうか。
 『蓮如上人御一代記聞書』に、年老いた道徳という蓮如上人のお弟子さんが、上人に新年のご挨拶に行ったときの話が語られています。道徳が蓮如上人にご挨拶をすると、上人は「道徳、いくつになるぞ。念仏申さるべし」とおっしゃいました。このことを平たく言えば、生まれた意義と生きる喜びを見出だせなければ、人生はむなしいものになってしまう。だから今を大事に、そのことを求めて生きなさいということです。この言葉が投げかけていることは、老いは人間完成としての重要な時期だということです。色々な苦しみをもって働いてきた人間が、老いを迎えて、最後に残された一番大切な自分を完成していく課題をもつということ、つまり、老いこそ人生の本番であるという見方です。老いを余生としてすごしたり、みじめなものとしてすごすのではなく、自分を完成するために与えられたかけがえのない時間としてすごしていく意義があるというのです。
 だれもが年をとっていきます。「老い」という問題に向き合いながら、自分の生き方を見つめていくことがひとりひとりに求められているのではないでしょうか。
同 朋 大 会
日時1999年5月29日(土) 13:00 〜 15:30
会場浅草公会堂
テーマ「老いとの対話」
講師浜田晋氏(精神科医)
会費1000円(ご希望の方は蓮光寺まで)
 老いのイメージ──役に立たないお荷物、余生としての老後、趣味に燃えるとき、みじめ・きたない、健康第一ボケたら困る・・・しかし、そういう見方こそ "病んでいる" と。(by 釈尊)
「老い」──それは私自身のいのちの根っこを洗うチャンスです。