門徒随想

 私がはじめて真宗の教えを聞いたのは、もう10年ほど前になりますが、なんとなくふらっと東京2組の青年聞法会に参加したときでした。はじめは何を言っているのかさっぱりわからずいらいらしていましたが、私にもどうにもならない問題を抱えておりましたので、少しずつではありますが真宗の教えに感じるものが出てきました。そんな時に、蓮光寺で開いている門徒倶楽部にも出席してみようと思うようになり、今日に至っております。門徒倶楽部で色々な人と出遇うなかで、私にとって聞法することがかけがえのないものになりました。利害関係のない人たちと月1回聞法し、そのあとは酒を飲み語ることがとても楽しみになっていきました。自分の問題を抱えながら聞法しているうち、法友から宮戸先生がお書きになった『仏に遇うということ』という本をプレゼントされました。その本を読んで目からウロコがおちる思いでした。この本のなかに、ある会社の社長さんの母親の生きざまが書かれているのですが、そのことには特に大きな衝撃を受けました。このお母さんは、農業に従事しているのですが、どんなに忙しくても、お寺の鐘がゴーンと鳴ると、仕事を中断してお寺に参り聞法されたというのです。息子である社長さんは、「こんな忙しい時に、なぜそんなにお寺ばっかり行かんならんのや」とたずねると、お母さんは「あのなあ、仕事には限りはないけれども、いのちには限りがあるからよ」と答えたそうです。いったい私の生きる意味とは何だろうかということを強く問われたのです。私も悩みを抱えながら仕事に追われる日々をくり返していますが(もちろん仕事は大切ですが)、自分を問い、生きる意味を見出だすという仕事こそ一生続けていくべきものであることをはっきり教えていただきました。
日野宮久夫(44歳・会社員)