通夜・葬儀を考える

 「前住職さんの通夜・葬儀には、写真は飾らないし、祭壇もなかったので、びっくりしました。清め塩はもう入れないのが当たり前になってきましたので、これは別に驚きませんでしたが」という声を沢山いただきました。そこで、この機会に通夜・葬儀について少しばかり考えてみましょう。

亡き人を通して、一人一人が
自分の生きかたを問う場

 通夜・葬儀は亡き人を通して、いずれは死んでいくこの身をどう引き受けていくかを問う場なのです。つまり、この場は仏教の教えの空間です。ですから、中心には本尊がなければなりません。前住職の場合、それが徹底された伝統的な荘厳になっています。葬儀のときは、棺の前に野卓を出して三具足(燭台・香蓋・花瓶)を置き、お餅などをお飾りしていますが、本尊が中心であることには変わりはありません。一般の通夜・葬儀の場合、写真や祭壇はあってもいいのですが、中心に本尊があるかどうかが大切です。現在の状況は写真が中心となっているのが主流ですが、大きな課題ではないでしょうか。このことは形式や理屈ではなく、教えに出遇うなかで頷いていくことかもしれません。

焼香の時の挨拶は本来不要

 お焼香の時、喪主に向かって丁寧な挨拶をすることが当たり前のようになっていますが、いわゆる常識の非常識というものです。勿論、会葬者が遺族にお悔やみ申し上げることは大切でしょう。しかし、遺族が亡き人の生前を憶い、生と死の問題に真向かいになっている時に、社交の挨拶は慎むべきではないでしょうか。そのために記帳ということがあるのではないでしょうか。通夜・葬儀は社交儀礼の場ではありません。挨拶が当たり前の風潮のなか、大変難しいことですが、本当のことを知っておくことが大切です。そうでないと本当でないものを本当にしていってしまいます。スペースの関係で今回はこのへんにしておきますが、通夜・葬儀のご質問は蓮光寺までお気楽にお尋ねください。