前住職を想う

前坊守に聞く

 どんな旦那さんでしたか?
 おもてにしゃしゃりでるタイプではなく、縁の下の力もち的な人でした。趣味はスポーツ、読書、野鳥観察など多彩でした。掃除が好きなので、年がら年中動きまわっていて、こちらがときどき目をまわすほどでした。せっかちなところもあって、例えば出かける30分前には玄関で待っていて「まだ用意はできないのかい」と言われることもよくありました。とにかくまあよく動く人でした。
 お坊さんとして、どういう印象をもっていますか?
 門徒さんと交わるのが好きで、親鸞聖人の話やら世間話やらをよくしておりました。門徒さんを大事にした僧侶だったのではないでしょうか。

門徒回想録

 私の父は、蓮光寺さんが大好きで、前住職さんにとても親しくしていただきました。それもあってか私のこともずいぶんかわいがってくださいました。私は電気屋をしておりまして、前住職さんの部屋には、よくお邪魔をして、電球を付け替えたり、ビデオを修理したりしました。前住職さんは、電気製品の使い方がわからないときなども、元気な口調でちょくちょく電話をかけてこられました。私がお邪魔すると、前住職さんは色々なお話をしてくださいましたが、特にうれしかったことは、私の父が昨年急逝した時に、いっしょになって悲しんでくださったことです。帰る時は、必ずといっていいぐらい子どもにお菓子などを持たせてくださいました。また明日、電話がかかってくるような気がしてなりません。蓮光寺ですがーと。
南無阿弥陀仏
草間隆雄(46歳)

黒土を真白に染めた帰敬式[おかみそり]
法のちぎりに会ふぞ嬉しき
(昭和37年1月28日 本山にて)
おとりこし(報恩講)
 わが家での報恩講には御老院様をお迎えして、正信偈と改悔文を一同で奉稱し、ささやかなお膳のお座を作り、睦まじく各人の思っている事をお伺いいたしました。御老院様を車でお送りいたしますとき、「月と夕日に見送られて」と申され、いつもご満悦でした。
 御老院様は、「お念仏を稱えると同時に、この念仏を選びとられた仏の本願のまことを疑いなく信ずる人は、本願を忘れずに仏恩を感謝するように自然となるのです」と申されておりました。まことに真実(法)信心に生きられたお方でした。
合 掌
小門前三雄(81歳)

 前住職さまを、親しみをこめて、おじいチャンとよばせていただきたいと思います。
 私は、早くに父を亡くし、旧制中学1年から店の手伝いをし、後楽園スタジアムの売店で働いておりました。その頃はプロ野球とは言わず、職業野球と言っており、今とはちがって観客の少ない時でございましたが、おじいチャン(当時はもちろんお若かったですが)が、きちんとした洋服で時々おいでになり、「しっかりがんばるんだよ」と声をかけてくださいまして、とても励みになったことが昨日のように思い出されます。おじいチャンも私も浅草育ちなので、とても話が合い、夫婦で食事をごいっしょさせていただいたこともございました。非常に若々しいおじいチャンでありましたが、特に歯の良いことにはビックリで、あの堅い浅草名物入山せんべいを晩年までお好みでした。思い出はつきません。
合 掌
現住職と同世代の中島正夫(70歳)

 私は蓮光寺さんでお墓の掃除をしております。前住職様からは、生きるささえとなる沢山のお言葉をいただきました。そのなかで私が最もありがたくいただいているお言葉をご紹介したいと思います。確か十数年前の本堂の前でのお餅つきの時だったと思います。お餅つきのなごやかな雰囲気の中で、前住職様は私に「見るもよし 見ざるもよし われは咲くなり」とおっしゃってその意味をお話しくださいました。人間は人と比較をして、劣等感やら優越感を感じて生きていますが、そういう比較を超えて、誰にもかわってもらうことのできない私を生き抜く大切さを教えてくださったのです。その時から、このお言葉をよりどころとして聞法させていただいております。
 前住職様は話題の豊富なお方で、特に古き良き浅草の話はとても興味深いものがあります。今度ゆっくりまた皆で聞きにいこうと思っておりましたが、残念でございます。
 私も八十を越え、いついのちが尽きるかわかりませんが、私を尽くして生きてまいりたいと思っております。
飯塚初枝(81歳)