門徒随想

 最近、門徒倶楽部のHさんが二次会に必ず誘うのが、K町にあるライブハウスである。60年代の曲を中心にしていて、結構流行っているらしく、旧臘忘年会の折りには満員で予約を断られてしまった。
 ホテルのディナーショーなどでも当時のグループサウンズがソロで活躍している話をちらほら聞く。客層は、おじさん・おばさんたちである。あのころ不良といわれた音楽も、今は懐かしのメロディーとなっている訳である。
 小生も若気の盛んなりしころがその年代で、記憶力も良かったのだろう、曲の始め一、二小節を聞けば歌詞全体が自然と頭に浮かんでくる。蓮如上人が「仏法は若いうちに聞け」とおっしゃったのはこの事か、現状は「忘却とは忘れ去るものなり」を地でいっている。そのなかでビートルズの曲だったか、「人生は僕らが他の計画を練っている間に過ぎてしまう」という歌詞があった。気にも止めない歌詞だったが、思い返してみると多少頷けることもある。
 つらつら考えを巡らせてみると、自分の人生の本番がいつか違う時間と場所でおこるものと錯覚している人が多い。我が身に明日が確実に来るとはかぎらないのに、過去の不幸や将来の不安ばかりに気を取られ、折角の今日と言う日を不満と失望でだいなしにしてしまう。もったいない事だ。
 このように頭をひねってみたが、13年も寺に通っていながら法味のかけらもない愚考に嫌気がさして、ふと壁を見たら、法語カレンダーに「一日は一日一日新しい いのち尊し」とある。なあ〜んだここにもう書いてあるじゃないか、手回しのいい事よ。はて、この手回しの良さが真宗か、さればありがたや、今年もおまかせの一本道、ほんわかぬくぬくとまいりましょう、ネッ皆さん!
吉田達(45歳)