門徒随想

 18歳の時、私は一冊の本と運命的な出遇いをしました。『ライ麦畑でつかまえて』と題する小説です。この小説を書いたのはサリンジャーというアメリカの作家ですが、仏教に強い関心を持った人で、作品のそこかしこにその影響がかいま見えます。今から思えば、最初に私の目を仏教に向けてくれたのはこの小説でした。カトリック系大学の英文科に入った私が、それとほぼ時期を同じくして、アメリカ文学によって仏教へのきっかけを得たのですから、人生は何がどう転ぶか分からないものです。
 『ライ麦畑でつかまえて』の主人公はホールデンという16歳の少年です。クリスマス休暇直前に学業不振のため退学処分となった彼が、昼夜ニューヨークの街を彷徨する、というのが物語の大筋です。純粋な心を持つ彼は、虚偽と損得勘定に染まった大人の世界を嫌悪し、悪態をつき続けます。その意味では、先年亡くなった歌手の尾崎豊とも似たところがあるでしょう。あるいは佐野元春が「つまらない大人にはなりたくない」と唄ったのにも通じるでしょう。そういう訳で『ライ麦畑でつかまえて』は、初版発行以来現在に至るまで、40年以上に渡って10代の心をとらえ、反逆者のバイブルになってきました。そして一方で、教育上好ましくないとの理由から、アメリカの一部の地方当局や学校では禁書目録に入れられたりもしました。
 しかしホールデンの彷徨は、そういう単に未熟で青臭い言動で終わりはしません。最後に彼は、入院生活をしている時に、ニューヨーク彷徨を振り返って、「街で出会ったすべての連中が今ここにいないのが寂しい」と言っています。好きな奴も嫌いな奴もひっくるめて懐しいと言える彼は、もうすぐ30歳になろうという私よりも実はずっと大人なのではないでしょうか。それは自分の人生すべてを引き受けている姿であり、仏教が説く真の生き方だと思うのです。私にとってホールデンは大切な善知識の一人であり、彼のおかげで今こうして仏法聴聞をさせていただいています。
谷口裕(29歳)